文学や芸術など、その年度によっていろいろとテーマを変えながら、考察します。
授業は週に一度、普通の教室で行われます。あとは、個々で知識を深めるなり経験を積むなり好きにしてください。
名画にたとえるなら、「最後の晩餐」のようにドラマティックで、「モナリザ」のように微笑し、「天地創造」のように崇高で、「鳥獣戯画」のように諧謔がある授業になるとよいとは思います。
文学にたとえるなら、川端康成です。感じ取れる人は感じ取れるでしょう。わからない人にはわからないでしょう。『雪国』、あの最後の1行のようでありたいものです。
許 光俊
担当者の関心領域については、著書やシラバスなどを見てください。それ以外の情報として、参考になるかどうかわかりませんが、担当者はワードやエクセルは使えません。スマートフォンとTカードは持っていません。LINEなどSNSはやったことがありません。すぐつながりたがる人、絆という言葉を乱用する人やメディアにはぞっとします。
電子レンジは嫌いです。化学調味料を買ったことはありません。煙草の煙やにおいで咳が出ます。好きな食べ物は、おいしいものです。苦手な食べ物は、まずいものです。らいん、くらぶ、など、言葉の後ろに向かって音を高めていくことに非常な不快感を抱きます。そういう美的な鈍感さには耐えがたいものがあります。
このクラスには、法学部以外の学生、正規に履修していない者、すでに卒業した者など、さまざまな人が来ます。どういうわけか、バイセクシュアルの女子学生が多いように思います。菜食主義者、自称「前世は魔女」、人格を疑われるようなゲームを考案・・・などなど、一般的には変と呼ばれる人が多いそうですが、私が心の底から変だと思った人は、いまだにひとりもいません。それどころか、一見奇妙な人ほど論理的かつ合理的で、菜食主義者ほど残酷な人間はおらず、革新主義者ほど保守的で、極悪なゲームを作る人間ほど温和という、三島由紀夫が好みそうな逆説を感じます。
卒業生は、非婚率や離婚率が非常に高いので、しょせんは他人事ながら少しは心配になります。自我が強くて、飽きっぽい人が多いのか、転職率が高いです。会社を辞めてフリーになったり、何をやっているのかよくわからない人も少なからずいます。愚かな生き方をしているやつだと思うことも時にはありますが、当人が幸せを感じているのなら、私が口を出すことでもありません。
スムーズに就職できない人がしばしば見受けられますが、嫌でも高齢化の時代ですし、年寄になっても働かされる状況になりそうですから、スタートのいくばくかの遅延など何でもないでしょう。すぐに結婚する人ほど離婚率が高く、スムーズに人気企業に合格した人ほど離職率が高いという印象を受けます。とはいえ、就職のために自主的に留年し、このクラスに複数年出てくるのは奇特と言うべきでしょうか。
子供を持つ卒業生が異様に少ないのは、人間という、地球にとって最大の災厄を少しでも早く消し去りたいと願うからかもしれません。
特に何かの分野に強い関心がある人は、副専攻の認定も考えましょう。そのために学費が割り増しになったりはしません。